蜀漢

蜀漢(しょくかん)西暦221年~263年は現在の四川省を指し、蜀は中山靖王劉勝の子孫とされている劉備によって建国された。群臣に張飛、関羽、趙雲、諸葛亮、馬超などの人気の高い武将が集まっているため、特別視されることも多いが、実は三国の中で最も弱い勢力であったのだ。蜀漢の名前の由来は後漢を滅ぼして即位した時に、漢の正統を継ぐものとしたので本当は漢が正式な名前である。しかし、蜀・蜀漢という呼び名は後世の人々が統一王朝であった漢との区別のためにつけたものと言われている。蜀漢が、魏や呉と張り合うことができたのは、蜀の国は気候が温和なため農産物の生産に適していることもあり豊かだったからだ。また、蜀漢は地形にも恵まれていた。天然の要害に囲まれていたため、他国から攻められにくかったのである。そして263年に、魏の攻撃を受けて劉禅は降伏した。三国の中でも最も早く滅亡した。その後、皇太子劉璿が殺害されるという混乱があったものの、劉禅は魏・晋両王朝で「安楽公」に封じられて天寿を全うすることができた。