呉(ご)222年~280年。首都は建業(現在の南京付近)。呉の軍隊は水軍が主力だった。長さ約50m、およそ600人が乗れる大船を持っており、台湾、遼東半島付近などへの遠征も行われていていた。小回りのきく船も5000隻ほど所有していたと言われている。魏軍に勝利したのも呉は水軍が強く、魏軍は水軍が弱かったせいだと言えるだろう。孫堅は孫武の子孫であると言っていたが、孫堅の家の格式はとても低いもので、格式が重視されていた後漢の政界の中では認められていなかった。それでも自分の実力で位を上げていき、黄巾の乱では功績を挙げて戦後別部司馬となった。戦後も辺章・韓遂の反乱鎮圧に功績を挙げて長沙郡太守に任ぜられ、後に「江東の虎」と評されたのである。189年孫堅は主のいなくなった洛陽に入り、復興と陵墓の修復を行った。そして荊州を完全に自分のものにするために劉表と戦い、劉表の部将・黄祖を打ち破るも、追撃途中に流れ矢に当たって死亡した。