霊帝
霊帝(れいてい)は中国後漢の第12代皇帝。(在位167~189)劉萇の子で章帝の玄孫にあたる。桓帝(劉志)に子がいなかったため、桓帝の崩御後に竇太后と竇武に迎えられて、年十二にして即位した。霊帝は非常にだらしない人物で、酒と女に溺れて朝政に関心を示さず、売官を行うなどの悪政を続けた。そのため即位の翌年陳蕃らによる宦官排斥が計画されるが、事前に露見し宦官らの逆襲を受け桓帝時代の外戚は排除され、宦官が権力を掌握した。党錮の獄が再び起こり、李膺・杜密ら百余人が処刑され、流刑・禁固などの刑を受けたものは七百人におよんだ。そして政治は乱れ、宮室の大改修をおこなう費用を、売官や増税でまかなう事になる。霊帝の時代は宦官を重用し、民衆に重い賦役を課して民心は完全に離反した。黄巾の乱の結果、皇帝権力が衰退して地方豪族の力が強大化し、三国時代への前段階の時代となっている。189年、国内がさらに乱れる中で崩御した。