夏侯淵

夏侯淵(かこうえん)(162年~219年)夏侯惇の従兄弟に当たり、曹操ともまた別の従兄弟という関係にある。正妻は曹操の妻の妹。当時様々な事変により混乱状態であった郷里で、夏侯淵はその混乱の最中に死んだ弟の娘を、己は飢え、その幼い子供を失ったのと引き換えに救ったとある。戦場においては急襲戦を得意とした名将で、その迅速な行軍は「三日で五百里、六日で千里」と称えられた。曹操は挙兵すると、夏侯淵を別部司馬・騎都尉として随行させ、やがて陳留や潁川の太守を任せた。官渡の戦いの後はエン・豫・徐の三州の兵糧を取り仕切らせたが、兵糧が欠乏気味であった北伐軍を支えたのは夏侯淵の後方支援によるところが大きかったという。215年、五斗米道の張魯を下した後、漢中の司令官となり、征西将軍に任ぜられる。その後、劉備との陽平関を巡る戦いにおいて黄忠に討ち取られたとされる。夏侯淵の息子は解っているだけでも七人おり、中でも有名なのは曹爽の処断のまきぞえを受けて蜀へ亡命した次男の夏侯覇だろう。