王昶

王昶(おうちょう)(188年~259年)三国時代の魏の武将。太原郡晋陽の人。伯父や父親も、それぞれ漢朝の高官についていた。また、長男に王渾、甥に王沈がいる。司馬懿と仲が良かったため、彼が武力行使を起こして実権を掌握すると、征南将軍、司空と昇進した。曹丕が帝位に就くと洛陽の屯田を司る役目に回され、当時洛陽周辺では未開墾の土地が多かったが、王昶は命じて荒地をどんどん開墾させ、住民に勧めて田畑を作らせた。丁奉の反攻を受けて敗退した後も司馬一族に仕えて軍事面で大いに功績を上げたため、死後に穆公を追贈された。阮籍と会ったとき、彼の人物の大きさに感嘆したという逸話が残っている。259年逝去。諡は穆公。子の王渾がその爵位を継いだ。王昶は郭嘉の息子である郭奕と懇意であったが、郭奕は性格に癖が強く、嫌うものが多かったため息子達にはそうであって欲しくないと思っていたようである。しかし王渾は、呉討伐の最大功労者であった王濬を非常に嫌っており、度々それを讒言する上表を行っていたというから、その願いが通じていなかったようである。