袁紹
袁紹(えんしょう)(生年不詳~202年)は中国の後漢末期の武将・政治家で汝南郡汝陽県の人。大将軍の何進と協力して激しく宦官と対立し、董卓の乱の際には首都の洛陽より奔って河内にて兵を挙げた。袁紹は後に帝位を僭称する袁術の異母兄であったが、庶子であったため、実父袁逢の兄に当たる袁成の養子となりその後を継いだ。そのため、袁紹は袁一族の頭領となったのだが、一説によればそのために袁術との仲がしっくりこなくなったといわれている。霊帝時代の大将軍・何進との縁もあり、若い頃から侍御史になり、中軍校尉、やがて司隷校尉まで登りあげる。霊帝の死後、何進にすみやかに宦官を排除するよう進言したが、受け入れなかった何進は逆に宦官によって殺されてしまう。袁紹はこれに怒って兵を動かし、宮中の宦官らを殺害、死者は誤って殺された者も含め、2000人に及んだ。袁紹は威厳のある風貌をしていた。しかも、士人には身分を問わず礼を尽したため、多くの人士が彼を信頼していた。しかし、その反面では猜疑心が強く、策謀を好んだが優柔不断で、名臣も良策も用いることができなかったとも評されている。