郭嘉
郭嘉(かくか)(170年~207年)は中国後漢末期の軍師。州潁川陽翟の人。若年より将来を見通す見識を持っていたといわれ、二十歳になると名前や経歴を隠して、英雄傑物と思われる人物とひそかに交際を結び、俗世間の付合いに関わる事を避けていた。その後、戯志才の後継者として荀彧によって曹操に推挙された。召しだして歓談した曹操は彼をことのほか気に入り、郭嘉も「このお方こそわが主君だ」と喜んだという。そして曹操の軍師として仕える事となった。呂布討伐では荀攸とともに、退却しようとする曹操に追撃を進言し、呂布を捕らえた。郭嘉は優れた人物観察眼の持ち主であったことが知られており、郭嘉伝にはその事例がいくつか記されている。しかし、38歳という若さで病死してしまった。柳城から帰還すると、風土病を患い、病は重くなりそのまま死去した。曹操は幕僚団の中でも最年少であった郭嘉の死をことのほか悲しんだと言う。