吾彦
吾彦(ごげん)(235年~没年未詳)は、三国時代の呉の武将。呉郡呉の人。貧しい下流階級の出自である。272年に歩闡が呉に対して反乱を起こしたとき、陸抗に従って将軍として参加し、190センチの長身、素手で猛獣を捻り倒すほどの強力を活かし活躍した。やがて建平太守に任命されたが、当時晋の益州刺史王濬は来たるべき孫呉との決戦に備えて大量の軍船を建造しており、その作業工程から出た木屑が長江を伝って建平郡まで流れ着いてきた。多数の木屑を見て、晋が軍船の用意をしていると予測し、皇帝の孫皓に対して建平の守備を強化するように上奏したが、聞き入れてもらえなかった。それでも自ら鉄製の鎖で進路妨害のバリケードを方々に作り始めた。晋の大侵攻が開始されても、備えを施していた建平郡は、孫皓が降伏するまで堅守し、陥落させられなかったという。この行動を見ていた武帝司馬炎は吾彦を取り立て、金城太守に任命したのである。