呂岱
呂岱(りょたい)(161年~256年)は、中国三国時代の呉の武将。広陵郡海陵の人で元々は地方で役人をしていたが、中原の戦乱が激しくなってくると南方へと移住してきた。孫権が呉の勢力をまとめるようになった頃、孫権に仕え、呉県の丞となった。その後、再び地方に出て、不服住民反乱の平定に功績をあげ、荊州攻略の際には荊州三郡の奪取にも貢献している。220年に歩隲の後を受け継ぐ形で交州刺史となり、着任してすぐに交州の不服住民の慰撫と征伐に当たった。226年に士燮が死ぬと交州から広州を分割しその刺史となり、呂岱もすかさず軍を動かした。武官の最高位まで登りつめた呂岱は、256年に亡くなったが、その年齢は数えで九十六歳であったという。呂岱は生前、徐原という人と付き合いがあり、行動に過失があると諌言してくれることを尊敬していたと言う。そんな呂岱も、友人など、人の意見を良く聞く人物だったと言われている。徐原の影響を受けたのであろう。