孫登

孫登(そんとう)(209年~241年)は呉の初代皇帝孫権の長男で皇太子。妻は周瑜の娘。221年、孫権が呉王に封じられると、初めは東中郎将の役職につけられたが、孫登は病気を理由に辞退した。間もなく呉王太子となり、才覚に溢れた忠良な者を近侍に選んだ。孫登は才覚に優れていたが、241年に急病のため33歳という若さでこの世を去った。孫登は狩猟に出るために脇道を通らなければならない時には必ず田畑を避けて通り、休息する時にも人家の近くを避けるなどの配慮を怠らなかったという。孫登は死の間際、孫権に宛てた遺書に陸遜、諸葛瑾、歩隲、全琮らの名を書き、彼らが国を守る忠臣であり、その意見をよく聞いて国を栄えさせて欲しいと記した。孫登の死後にその遺言状が孫権に上奏されたが、孫権は悲しみに暮れ、それからは孫登の名を口にすると涙を流さぬ時はなかったと言う。