姜維

姜維(きょうい)(202年~264年)は、中国の三国時代の蜀漢の武将。幼い頃に異民族の反乱鎮圧のために父を失い、母親の手で育てられた姜維は、後漢の学者鄭玄の学問を好んで習熟した。やがてそのことから中郎の官職を授けられ、郡の軍事に関わるようになる。はじめは魏に仕えていたが、諸葛亮にその才能を認められ蜀へ仕えた。228年、諸葛亮が来襲した時、各県の降伏を聞いた天水太守の馬遵は配下の姜維達も諸葛亮と内通しているのではないかと疑った。姜維らは馬遵の後を追いかけ自分達の潔白を訴えたが、馬遵は聞き入れてもらえず止む無く諸葛亮に降伏した。253年、費禕が魏の降将・郭循に刺殺される。姜維は雍・涼の北方に勢力を持つ姜族と通じていたので、涼州の地理にも詳しかったことからそれなりの勝算があったのだろうが、郭淮・陳泰・鄧艾といった名将たちの活躍によって阻まれ、兵糧不足に悩まされ撤退した。